私は多数決に懐疑派である。
もちろん、数の多い考えを採用することは世の習わしだと思うし、会議などを円滑に進める為の決議方法であることも承知している。
でももし、多数派の意見が間違っていたら?少数派が正義だったら?
例えば、某県知事。次期知事選で敗れ、後任に無能な奴が選ばれた場合。
ほとぼりがさめ、改めて判定を下してみたら世間の声もあの議会も全会一致で間違っていたことになる。メディアによる扇動やSNSの煽り、反対意見を言えない雰囲気がつくられていたら如何だろう。あれは公正な多数決だったのか。
彼の主張は正しかった、彼は優秀だった、改革に痛みは付きものだよね、、。と、世の中は対極の声で溢れるかもしれない。アジテーションやプロパガンダを見抜けていた少数派が真の正義になる。
モノクロームの世界だと少数派が艶やかに感じる。黒と白だけで描く世界は現実ではない。でも想像して思い巡らすことは大事なこと。視点を変える能力と推し量る能力は人生に必要だよね。
これからは多数決を採る前に「多数派の独裁だー」とヤジを飛ばし、周りから一瞥をもらうことに喜びを感じてみよう。
カメラ Nikon Z8
レンズ voigtlander NOKTON 50mm F1
コメント