【散漫哲学】

【公園】

私はいわゆる余所見をよくする。人と会話してても運転してても“よそ見”してしまう。興味があれこれ移るのではないし注意力が散漫しているわけでもなく、ただ視野が広いと自負している。いや、良い意味で集中力がない。

Nikon Zf /voigtlander APO-LANTHAR 50mm
Nikon Zf /voigtlander APO-LANTHAR 50mm

今日は運転中にいい影を見つけた。停めれそうなところに路駐して歩いて引き返し、写真を撮っていた。何枚か撮っていると日傘を差したおじ様に話しかけられた。「昨日、鴨が三羽いたよ。今年は早いね」と。だしぬけに予想を超えた一言に私は返す適当な言葉が思いつかず、「鴨がいつ頃に飛来してくるのか存じ上げません。それよりも日傘お似合いですね。」私の言葉におじ様は破顔して思い出したかのように散歩の続きを始めた。やはり良い街だ。

Nikon Zf /voigtlander APO-LANTHAR 50mm

整列した稲田に雑木林の影。

文字が書いてあれば読むし、露出している肌があれば見るし、光があれば影を探す。

強すぎる光はつくる影も濃くなる。ニンゲンも同じ。写真楽し。集中力と引き換えに得た果報。

 

 

遅刻しそうだから寄り道終了。視野が広いと困るぜ。

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